YARO会合同練習 後半2回のまとめ


12/11本番への最終過程

練習日: 200512/3(土) 〜12/10(土)

団内指揮者 村上 弘 (ドン・キホーテ)

2005年12月13日)


 

 本番直前の1週間でさらに2回の合同練習が行われました。本番への追い込みの過程で、大岩先生が練習中に話され、指示された内容の一部を紹介します。今回は、プロジェクトの技術系委員須田信男氏と私の意見も、練習の都度すでに団員に伝えた内容を再現する形で、少し記録としてとどめてありますが、再構成に当たっては、筆者の独断がはいっているかも知れません。
 本番についてのコメントは、今後いろいろな人たちから寄せられると思いますが、それと比較して読んでいただくのもいいかも知れません。

 大岩先生は、「この曲には、色々な解釈があるが、極力楽譜のオリジナルの指示を大切に表現していく」と、改めて全体を総括されました。第1回目の練習冒頭で、「型にはまってしまい、結果として聞かされたいつものピエロ」ではなく、「一人一人が内面に持っている裸身のピエロ性」を表現したいとの決意表明がありましたが、これを基本に忠実な解釈によって表現したいと、再確認されたものです。
 第4回練習の終了後、「とてもいい方向に仕上がってきている。本番が楽しみだ」との発言もありましたが、一方で、これまでの練習の指示内容をすぐ忘れてしまう、との苦言も評されました。
 まだまだ本番までの道のりは険しいということなのでしょう。
 そして本番前日の第5回練習では、「月光とピエロ」全5曲を1曲ずつパートごとに確認する作業に時間が割かれました。アンサンブルするとよさそうに聞こえても、パートに分解すると、またまだ不十分な、忘れてしまっている、不正確な部分が多く残っていました。これを大岩先生は、メンバーに再認識させたかったのです。
 この確認作業で、後1日みんながおさらいする宿題を認識できたに違いありません。
 本番の演奏では、以下の大岩流解釈論が実際の演奏を通じて具体的に表現できるでしょうか。曲集を通じて、われわれの人生のこれまでの歩み、味がにじみ出てくるといいのですが・・・。

 第1曲『月夜』の冒頭にのみ、doloroso、苦痛の苦しさをもってという指示、dolceとは、甘い心。やさしくという指示がありますが、他の曲の指示は、ほとんど速度記号によるものばかり。逆にこの曲では、敢えて書き込まれたこの指示内容が表現できなければなりません。白いピエロが澄んだ月から出てきたような・・いきなりパッと輝いて出てくるような。
 「白いピエロ」は汚れの無いきれいな色で、輝いている月、澄んだ空気を表現する。「身すぎ世すぎ」は、これまでの人生・なりわいと世のならいを、「わがピエロ」という詩句では、常に自分の中のピエロを出して欲しい。これを微妙に表出できるよう、指揮者の指示をよく見て欲しい。「なきわらい」「かなしからずや」では、笑い・泣き・悲しみを、時には第2曲『秋のピエロ』のように激しく演じつつもさらけ出すことも必要となります。
 ただし、「笑い」と言ってもいろいろあって、パワーがある場合もない場合もあります。例えば第4曲『ピエロの嘆き』では、泣き笑うしかないという表現。人生が見えるように。
 そして最終曲『月光とピエロとピエレットの唐草模様』は、ピエロ(=自分)万歳。声も顔も心も明るく歌って終わりたい。

  『秩父音頭』の2番は「望郷の念」を表現し、3番はにぎやかに。掛け声は拍頭を高目に出して、しっかりそろえていく。これで一層縦がそろえば、さらに「秩父は本当によいところだ」と客席に伝えられるようになるはずです。

 以下はYARO会技術委員 須田さん(メンネルA.E.C.指揮者)のコメント・・・
(1)ステージ練習を客席で聴いた印象では、全体に、良く纏まっていて及第点。
(2)バランス的には内声が少しおとなしい。トップとセカンドの音色の違いは仕方がない(第
回YARO会よりはいい)。トップが浮き気味だが、パートとして整えればOKではないか。ベースは、余裕をもって少し軽めにだすようにすれば人数もいるので、より効果的に支えられる。そうすれば、一部にみられる、 の時のビブラート、 (最大にとの大岩先生の指示がある) 低音域の力みによる上ずり・ピッチのずれ、高めのポジションA〜Cの音域での吠えがなくなる。
(3)全体的に、子音が甘い。早い音符、特に
『秩父音頭』の細かい音符の箇所は歌詞が殆ど解らない!大型男声はもっと子音を意識する必要がある。
(4) 『秩父音頭はテンポが早いこともあるが、聴いていても余裕がなく必死に歌っており、イッパイイッパイの印象が強い。


 筆者も、とてもいい方向に向かっているものと思います。加藤氏からは、「年配者や初心者も多いので、手心も忘れずによろしく」と言われつつ、結構檄をとばしてきたかも知れませんが・・・。

 第1回のYARO会演奏会に取り組んで以降、県下の合唱の集いで何度も顔を合わせ、その都度声を掛け合う機会が増え、メンバー間に顔見知りが増えてきました。普段各団は、ロケーションが異なる拠点を中心に活動を続けていますが(例えば県下栗橋町と志木市とでは、電車でのアクセスに1時間半を要する)、音楽の質は徐々に、しかし着実に類似したものとして共有されてきたようにも思えます。
 きっと第1回を共演したことで、お互いがとても気になる存在となり、仲間意識がめばえ、それぞれの音楽の受容が進んだのかも知れません。今回も合同練習そのものは5回もたれただけに過ぎません。お互いの気心が知れるにつれて、時間の経過の扶けもあって、音楽の意思疎通がはかられたのでしょうか。
 とても不思議なことですが、過程としてもしくは、結果としてのYARO会の音楽を聴くと、なぜか、これら全ての説明に合点がいってしまうのです。

 今回の合同のオンステ・メンバー数は70名強が予定され、第1回に比べて一回り小さな規模となりました。もっと多くの団員たちと共感したかったのはやまやまですが、それぞれに事情があるでしょう。途中、練習では顔をみかけた人もいました。次回はもっと多くの参加がかなうように、少し運営にも工夫が必要なのかも知れません。